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治療家・セラピスト/イベント主催者としての心構え

治療家・セラピスト/イベント主催者としての心構え


「わたしでなくとも、いい」


(´・ω・`)え~、でも自分の所にきてほしいし、自分を選んでほしいのが、わるいの?



文章は長くなりましたが、

結局は伝える内容一緒なので、一テーマとしてさらっとお読みいただければ。



過去の関連記事
・「もっと強く揉んでください」マッサージでそう言ったことがある人、言われた人へ。

http://ameblo.jp/jibunnwoikiru-taiwa/entry-12159848571.html


・何を選んで学べばいい?とお探し中の方へ

http://ameblo.jp/jibunnwoikiru-taiwa/entry-12142181639.html


*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆


① セラピスト・治療家の心構え


◆「患者・クライアントがよくなるなら、なにも自分のところにこなくてもいい」


それをそれを踏まえた上で、

「では、自分は治療家として何を提供できるのか・何をしたいのか」

それに尽きる。

※この話は、過去記事リンクもご参照いただければ。
(療法・方法論ありきではない、という話)


ほんとうの意味で、治すのは クライアント本人。

施術者ができるのは、そのお手伝い。



この文章を読んで「そんな事ない、俺が治してやっているんだ!」
そういう場合。
(実際、とある外科医とバトルした時、目の前でそう豪語された事がある(笑))



たとえば。
一般的な病院というところは、

自分(施術側)が治してやろう、という人と
人に治してもらおうという、お任せモードと

主にはそうやって成り立っている。


もちろん、「医師にしかできない」事がたくさんある。

だからこそ、専門としての修練・自己研鑽が必要。
仕事内容からも、人から尊敬もされる。
(仕事できる人はこれまたカッコいいので、モテちゃうYO)



だがしかし。


「傷口を縫う」を例に挙げると。

外科医として介入できるのは、傷を縫い、その後、治っていくまでのフォロー。
今後どう気をつけたらいいのか、などなど指導もアリ。

できるのはここまで。

たとえ、とても凄腕で、見事にきれいに縫合してくれたとしても。

その後きれいに傷がくっつくかどうかは、あとはその人の持つ自然治癒力次第。


本当に施術者が「治す」事ができるなら、傷口すらもくっつけてくれ、ちゅう話で、
それができるなら、どうぞ「わたしが治す」ってほしいです。

(実はちゃんと、外科医はそれをわかっているから、安心して切ったり貼ったり焼いたりなんでもできちゃう。なのにそれを忘れちゃう場合もあるわけで)



クライアント側としても、いくら人にお任せする範囲があったとしても、
最終的にそれを治すのは、自分自身。
治らないのは誰のせいでもないという話。

(病気とは、も語ると長い話になるので割愛するけれど、
「病気=ダメ」
「治らない=ダメ」
ではない事も踏まえていてほしいところ)


・・・・・


◆ 施術側としてできる範疇とは


施術側が提供できる範疇と、そうでない範疇をわきまえ、

施術側の磨けるものは、とことん磨いて提供していけばいい。



自分が何を「提供」でき、どんな人に来てほしいのか。

世の中、同じ療法・手技はたくさんある。
しかし、「自分」と全く同じものを提供できる人は、実はいない。

だから、「あの人から受けたい」となるのである。


なにもオールジャンルのスペシャリストでなくても、完璧に磨き終えたものでなくてもいい。
経験が浅かろうと、
本職でなかろうと、
なんでもいいわけで。

だから、今の自分は何を提供できる人間なのか、

それを伝えるのが「セルフブランディングとは」につながるわけで。


「自分の事をちゃんと知ってもらっていないから選ばれないのだ」
「こんなにすごいものをわかってくれないなんて」
「自分は大したことできないのに・・・」


そういう想いは、
「ごまかして」伝えている、
もしくは伝え方(表現方法)・情報量の少なさからくるもの。

そういうもやもやもすらも、ただ正しく伝えてしまえば、何も問題はないわけで。



◆ 突如、クライアントが「来なくなる」パターンについて。


治療家・セラピストからすると、ちょっと気になる。

いや、ものすんごぉぉ~く、気になっちゃうかもしれない。


「え?どうしたのかな?何かあったかな?(゚Д゚;)」


その心配の根底がどこか。

どうして「わたしのところに」来なくなったのか。
「わたし」の何がダメだったのか。



もちろん、施術やサービスに不備があったのかもしれない。
(二度と来ないと思った所こそ、意見を伝えずピタッと行かなくなることもある)

しかし、治療・セラピーに不備があったのではなく、「さらにいいところ」が見つかったのかもしれないし、

そもそも「治療・セラピーが必要ない状態である」かもしれないし、

治療・セラピーは必要だけれども、「もっと優先すること」ができたのかもしれない。



そう、つまりはそこには相手なりの都合があって、相手の選択があるわけで。



「繰り返し来てくれる」「人気がある」= 治療家・セラピストとして優れている= 「自分」がすごいかどうかの評価

ここが、すべて「=」で結ばれているパターン。




来なくなったことも、相手の選択のひとつ。

その相手の選択を、尊重できているかどうか、自分自身に確認するポイントである。


だからこそ。
「わたしのどこが悪かったの探し」で終わっている場合ではない。
「自分を選んでもらえなかった」と淋しくなっている場合ではない。


やる事は、他にある。


さて、今まで「自分のどこが悪かった探し」に夢中だったと気付いた人。


では、今から何をしていきますか?


※※

◇ わたしは、10年以上、毎月欠かさず通っていたまつげパーマを、去年から突如行かなくなった。

それは単に「マツエク」に浮気したらから(笑)

そして、その浮気を繰り返すとまつげもおつかれになり、

さらにPC作業で目そのものがお疲れ。だからマツエク・マスカラすらお休み中。

たしかにまた継続して受けたいものの一つだけれども、わたしの都合で今は受けないだけ。


それだけ。(相手がどうのではない)

だから、それをやれ「どこが気にいらなかったですか?」なんて執拗に心配されたら、それだけで余計足は遠のくタイプ。

わたしが長年通う場所は、まつげにしても美容室にしても、
実はまったく商売っ気のないタイプ(笑)。

かといって、完全放置という意味ではない。

定期的なお知らせ、突如こなくなったのでお伺いの連絡などはある。

そう、執拗な営業というのは、お客さんの「罪悪感」を生み、利用する部分がある。
もしくは持ち上げて浮かれさせ、行きたくなるよう誘導する。

もちろん、営業スキルとして大切な事はある。
それがないと、せっかく心意気があっても、伝わらない部分あるともったいないわけで。
(だからブランディングは大切)

ただし、心意気抜きの「営業スキルだけ」教えるところがあり、もしくはその部分だけ抜き出して使う場合があるから、
「うさんくささ」に繋がるのである。


わたしがまた行きたくなる場所。
わたしが突然行かなくなっても、罪悪感を持たせず、
かつ、また行きたくなったら行こうと思えるとても安心できる場所。

うふふ(*´ω`)




◆ 先日、こういうご相談をされまして。

とあるレイキヒーラーが「施術をするとわたしも元気になるから、施術させてほしい」

そういっては、執拗にLINEで営業をかけてくる。(ブログやHPはないらしい)

「参加できない理由」を伝えても、また幾度となく連絡がきて、

施術を断った次は
「~~さんに会って話を聞いてほしい(あなたのためになる・幸せになる・癒されるから)」という趣旨の内容になってきたそうだ。




ふむ。(´ー`)

もちろん、レイキとは、自分を媒体にして流れるから、自分にも流れて元気になる、という説明は確かにその通り。
なのだがね、そもそもね、・・・あぁ、その本人に言いたい(笑)



レイキに限らず、たまにある「施術させてほしい」というやつ。

特に治療家として時間内にほぐせなかった時、

「(無料で)延長するので、もっとマッサージさせてください」というパターンがある。



そういう系のマッサージは、多くは「力」で「自分が」」治そうとする。
「レイキ」も、根底が「レイキにゆだねる」なのか「わたしが治す」なのかによって、すでに違うもの。


このパターンは、
「タダで」、と謳いながら、

時間と労力を使って、「より一層凝る体」を「施術者が作り上げている」事になっている。

「よかれ」と思ってのサービス。

それ、ホントは何のため?誰のため?



さて、話を戻す。



「わたしが元気になるから施術させて」

そういうなら、あなたがお金を払ってまでも、お願いしてはいかがだろうか。

そう、相手の貴重なお時間やからだを使って、自分が癒されたいのなら。



「是非この人に会って話を聴いてほしい!人生変わるから!」


ふむふむ。その人に会って素敵になるのですよね?
人生楽になれるのですね?

え?あなたはそうじゃないのですか?


・・・・


やり始めたばかりで自信がない、
どんどん施術を増やして行きたい、
動きたいけど具体的なやり方がわからず迷っている
などなど

そこをごまかさずに「素直に」それを伝えたらいいだけ。


あなたがどんな人で、
どんなことをしていて、
無料で受けてほしいなら、それが何のためで、
お代金が必要なら何がいくらで、
時間や場所、申し込み・連絡方法なども明確に。


その気持ちや、やっている事が明確にわかれば、
協力してくれる人も安心できるから、協力者の幅も広がる。


素直でない、もじもじしている部分ですら、隠さずそのまま出せばいい。
「それを助けたい人」が出てくるから。

だから、大丈夫。


・「誘われた側」として「断りたい」時。

これも、シンプルに伝える。それのみ。

そもそも興味がない・嫌なのか
興味あっても、行けない理由があって、その理由次第では行くのかどうか、



「用事があって行けない」
「この日は都合が悪いし」
「子どもが~旦那が~〇〇が~・・・」

断る側は、
申し訳ない・気分を害したくない・よかれと思って、空気を察してくれると思って

「~~できない理由」をたくさん並べるのであるが、

それでも「断った事」にならない事がある。


誘った側としては。

そういう理由があるならその日でなくてもいいし、
場所が遠いなら変更もするし、
家族がどうのなら時間帯も考慮するし、
あれこれ歩み寄ろうとするのである


そう、断る側の説明によっては

「その理由さえなければ、来てくれるもの」と期待させてしまう部分がある。

また、意図的な場合は、その罪悪感から入り込むスキがあるよと伝えているも同然。




また、「察して欲しいから」と「完全無視」という方法。

これも、相手によっては、やはり「断られた事にはなっていない」

なぜなら、納得できないものは認められない。

わたしも納得したい派。

(究極をいえば納得すできなくても・しなくてもいいのである)



理由がわからない事って、ずっとずっと「どうして探し」したくなる。

明確な答えがないものって、
自分の調子次第で
「待ってたらお返事くるかもしれんし」
「いや、もうこれは断れたのかもしれない」
それを日々、繰り返してしまう。

そう、待つって、とってもしんどいのだ。



たとえば、男女の別れ際。

修羅場が嫌でフェードアウトする人もいるけれど。

とくにね、別れを決めた側で、相手に騒がれるのが嫌な場合。
こっそりフェードアウトできたら、楽だもんね。

自分がダメージを負いたくないから、とフェードアウトを狙ってみても。
された側としては、余計しんどい。
(お互いちょうどいい時期なら、自然とそうなるけれどね)

しかし、された側としては、向き合ってくれない空気・姿勢を察するから、
「どう思っているの?ちゃんと聞きたい」と詰め寄るだけであり、
それでも「答え」を貰えないなら、さらに、納得できず、出来事に区切りができない。
それで何度も連絡したりするとストーカー扱いされてしまったり。

そう、よかれと思った行動、余計こじれさせているのだ。

ピシャっと断ってくれた時って、
もちろんショックも大きい。受け止められず泣いてわめいて抵抗するかもしれない。
だけれども「あ、これだけやってもダメなんだな」と気が付く時がくるもの。

いつも向き合わない・向き合ってもらえない、それを繰り返してはいませんか?
(つд⊂)エーン

・・・

さて、話を戻す。


本当に興味はあるけれど、本当に都合が合わないだけなら、
「次はいつやりますか?また誘ってくださ~い」と好意を伝えちゃうもの。


そして、これもありがち。
たいして興味もないのに「また誘ってくださ~い♡」とやっちゃう。
もちろん言われた方は、嬉しいからまた誘ってきちゃうかも。

そう思ってないなら、そう伝えない。ウソつかない。
お互い労力を使わずに済むものである。


つまり。


お断りする側も、
ごまかさず、シンプルに、かつ少々の配慮があればいいのでは。


・・・・


◆ わたしは、「商売っ気が強い」ところは苦手。

その伝える側の「在り方」がズバリ出るからだ。

(ただ、ビジネスとして「鮮やか・お見事」と感じるものとはまた別の話)




わたしが嫌いなやり口。
いわゆる「だまし討ち」的な方法。


わたしはその人とお茶をするつもりで会う約束をしたのに、

突然紹介したい人がいるというからしげしげとついていくと。
で、その紹介される人の説明はよくわからないのだが、
「楽しくなる」「素敵になれるところ」なんて抽象的。

だから、なんのこっちゃ 話はよくわからないけど、とりあえずついていくか、となる。
(一応知っている人に誘われるから)


いざ行ってみると。

あなたの人生を輝かす目的として、こういう商品があって、それをビジネスとしてできますよ~って話に、
「気が付いたら」なっているのである。
そう、いつの間にか、そう流れているのである。


「それ」を上手に説明できる人がいて、
始めたばかりなんですぅ~、という人と、
これから始めようとしていますぅ~という人がいて。

なぜかその中に「囲まれる」のである。

で、ようやく何の話をされているのか、ちょっとずつ理解できてくるのである。


まぁ、紹介者の顔もあるし、無下に断るのもどうか、
また、頭でっかちに断る前に、まず聞いてみるか、と
最後までいて聞いてみるものの。


一言。


「そのやり口が気に食わぬ。」

そう、だまし討ち。

その意図があろうがなかろうが、わたしはそう感じたのである。



・とある宝石店で囲まれた時は、100万超すネックレスも、その場では本気で欲しくなるのである。
(すぐ気が付いたので、波風立てずどう逃げるが、頑張ったYO)

・とあるエステ店。
まだ通帳が親管理の時期。「親には内緒」で、始めるよう誘導し、
単に客として通うだけでなく、なぜか説明会なるものに半強制参加させられ、
(絶対空いている日を聞かれ、お友達を誘うよう、目の前で電話されられるなど、逃げる口実を使わせないやり方)
気が付けば、自分が友達を「勧誘する立場」となってしまうのである。



ただ、そこまでやるからには純粋にいい商品もあるもある。
「ネットワークビジネス」「~~商法」のイメージで誤解されるのが嫌だから、と配慮している方もおられる。



今となっては「すべて選択」と伝えるわたしであるけれど、

その「選択」の中には、「誘導・コントロール」された選択というのもある。
だからこそ、そこも見極めていただきたい。



*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆


② 「イベント主催者」の心構え


これも、上記の話の構成は同じである。



わたし自身、いつもイベントのお知らせなどで使う言葉がある。それは


「必要な方にお届けしたい!」




さて。あなたがイメージする「必要な人」とは?

「必要な人」といいながら、単に「数多く来てくれる事が目的」となっていないか。


とくに主催者として、どれくらい参加してもらえるか、大事なところ。


もし参加者が少なかった時。

「なぜ・どうして参加してもらえなかったのか」


その理由を見直す事は、次の改善点として大切な事。


しかし、その「どうして?」に囚われる場合。その根底は


たくさん来てくれる・満員になる = すごい、という「評価」



繰り替えしお伝えする。
これも、「参加しなかった人」の都合があり、選択であること。



それを踏まえ 主催者としてできる事とは何か。


企画をやる。と決めたのなら、一番最初に、そして一番大切な事。



「お届けしたい人とはどんな人なのか」
「なぜお届けしたいのか」

つまりは 自分の想い。


そこがあってはじめて、


自分が思う「必要な人」に受け取ってほしいからこそ、

どうすれば喜んでもらえるかと内容を練り、

時間・場所の調整など、いろんな配慮が必要となる。


そして、次に大切なのは
必要な人が「キャッチ」できる機会。

いくら準備万端だからといっても、まずは「知らない」事には、選ばれようがない。

そういう方がピピッとくる言葉選びだったり、伝える媒体方法や頻度など。

そう、案外多いのが

「営業と思われたくない」
「お金の事だから友人にすすめにくい」
「そんなに大々的に言うほど、自信がない」

そうやって慎重になるパターン。



また自分が情報発信した「つもり」でも、
相手がキャッチできないところにやみくもにばら撒いていても実は効果的ではない。


主催者として改善改良していける部分は、そういうところ。


その方法論的な話は、
自分でできる部分もあるし、
効果的・有効に行いたい場合は、それこそスキルの話になってくるので、
詳しい人に協力を募ったり依頼したり、そういう事も必要となってくる。


そうやって主催者として「できる事」をやったのなら。

あとは「必要」かどうか、決めるのは 自分でなく、「相手」。



これまたね、

自分の予想外の人からのいい反応があったり、

自分が一番来てほしいと狙っていた人は来てくれなかったり、

そう、自分が「渡したい」人と、「受け取ってくれる人」は、必ずしも一致するとも限らない。

実際の結果は色々なのだ。

また、自分が投げたタイミングで、その場でキャッチしてもらえるとも限らない。


何球も見送るタイプもいるでしょ?そういう人のためには、
いつも投げ続けて、いつでもどうぞ、という姿勢も大切。


言い換えれば、自分が信念を持ってやった事は、自分の想像の範疇を超え、どっちみちいい方向に進んでいるのである。


・・・・

◆ わたしが、今年一月、とある自主上映映画とトークライブの主催を初めてする、と決めた時。

 わたしの背中を押して下さった方の話。


・日本の神様カードなど、さまざまなカードを取り扱う会社 「ヴィジョナリーカンパニー」
代表:大塚和彦社長。オフィシャルサイト
http://otsuka.visionary-c.com/



その方は、自分が主催したセミナーの観客が「1人」だった事がある。

ただ、それを「恥ずかしい」と思うのではなく、

いま、目の前に来てくれたその「一人」のために、自分が何を伝えられるのか。

尽力するのは、そこ。


少人数の分、とっても深い深い話をとことんしちゃったよ、

な~んてお話をしてくださったのです。


だから、わたしが一歩踏み出す時、後押しをしてもらえ、
活動精神として、大切にしようと思ったところなのです。

(あれ、1人だったか2~3人だったか、詳細は忘れている(笑)



・これは、たいわ士育成講座内で、南山みどり先生からも、そういう旨の話を学んだ。

多くの前で講演する場であっても、一人と向かい合う場であっても、あり方は同じ。

それを貫いている方というのは、参加人数に囚われない。

わたしがこれからも、忘れずに大切にしたいところ。


・・・

◆ これは、わたしもよくセミナーに「参加する立場」として読み返してみると、さらにわかる話。



広い会場で、たくさん集まったら、
確かに「すごいね、こんなに集まるんだね!」とも思うが、


わたしは「少人数で、その先生をとことん聴ける」機会も大好き。

そして、「いつもより参加人数少ないので、今日はちょっとディープなお話もね~」

なんて言われちゃったら、なんてラッキーなんでしょう!と思うタイプ。

沢山いると、質問もしにくいけど、少ない方がぐいぐいイケるとか。


また、参加者が少ないと、集まった方とお話がしやすくなり、何かしら共通のテーマを持っている事をアリアリと感じる事もでき、それもまた面白い出逢いの場ともなる。



だから、単に人数が多い少ない、だけではなく。


結果的には、その場に、そのタイミングで集うのは、なんだかんだうまくできているものなのである。


・・・・・

※※この内容は

ブログのアクセス・読者登録数がどうの~、と気にするのも、
男女関係において「なんでわたしじゃダメなの?」となるのも、

こことつながる話。
(*‘∀‘)


・・・・・


たとえクライアントが、お客さんが、「わたしのところ」に来なくても、その人が他の所で幸せに楽しくやっていたら、それでいいのである。

方法なんて、何でもいいという話。


あの人をなんとかしたい、どうにかしてあげたい、


その想いがあるのなら。


まずは、その「何かしたい・何とかしてあげたい」と思った「自分の想いを大切にする」事から。


そう。
自分が何を、大切にしているのか。
それを自分で、大切にしているか。


それが見えてくると、

「あの人は~~かもしれない」と、外に原因探しを続けるより、

他にできる事・やる事がわんかさあって、
自分はどこに人生の時間や労力を費やしたいのが、おのずと見えてくる。



そして、実際に動いてみて初めて、

わたしがやりたい事・やりたくない事、

わたしでも、誰でもどっちでも良い事、

わたしではできない事

わたしでもできる事

わたししかできない事

そのあたりの違いを、知る事ができるのではないかと思うのである。



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プロフィール

元ICU・NICU看護師/現「名もなき活動家」東 舞香

Author:元ICU・NICU看護師/現「名もなき活動家」東 舞香
ひとつの道にとどまり極めるより、あれやこれやかじって伝える事が得意。
わたしの人生経験すべて学び・ネタ!やることなすこと「活動」と称す。
そんなわたしの思ひ出作りとしての人生が、
きっと誰か必要な方への情報提供になるであろうブログ。
☆Webサイト作りました。ブログもこちらで更新中!
「名もなき活動家」東 舞香の活動拠点
http://namonaki.net/

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