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「本音を伝える」「正直」と、「人を攻撃する事」とは、違う。


自分に正直な人の発する言葉や文章はシンプル。


華美な加工が必要がない。


だからこそ、ど直球・むき出しでど直球で攻撃されたと感じる場合もあるが、


ほんとうの正直は人は、自らは全く攻撃していない。


シンプルに表現しているだけ。

攻撃されたと感じるのは、自らそう感じる部分があるから。
それだけ。


そして。

正直とは、
無神経や、人への攻撃というのは、似て非なるもの。


本音を隠さないという事と、
荒い言葉・攻撃的な言葉を使い、
内にある怒りを「人に向ける」事とは、違う。


正直にという名の元に、
自分が言いたい事を言いっぱなしするわけではない事。


正直で、シンプルに伝えられる人は、

実はそこには思いやりや配慮がある。


・・・・・・・


「自分と向き合う」
「自分に正直に」
「やるかやらないか・行動ありき」


わたし自身が向き合っているテーマを話すと、
相手の持っている部分に勝手にヒットするので

「わたしもそうなの。」
「わたしもそうだった。」
そこから自然に共通するテーマの人とつながりやすくなった。


逆をいえば、その準備ができていない人や、
やりきって、別のテーマがメインの人などは
自然と離れていくし、近寄っても来なくなるわけで。


それは、誰かに向けて発しているのではなく、
自分に向けて発した事・自分がとことんやっている事を発信しているだけ。


・・・・


どこかの誰かの発した言葉や行動は、
時にチクり・時にはグサりと痛み伴ったり、焦燥感を煽られたりする事がある。


しかし、その痛みがなぜ伴うのかに気付いており、
それが自身には必要であると気付いている場合は、
「ありがとうございます」と自ら受け取りに来てくれる。


まだその痛みに準備ができていない場合は自然と寄って来なくなるし、
自分が攻撃された、と反撃する事で自身を護る場合もある。


なので、もし人の発言や行動が「攻撃」だと感じるなら。
まだ受け取る準備ができていない・必要ない、と近寄らなければいい。


もし、痛い痛いといいながら、うっかり近寄ってしまうのであれば、
それはうずうずしている証拠。


また。
自分を貫いてから人が去っていった、と感じる側なら。
これは必要な事なのだ、と「自分を納得させよう」という心を感じたのなら。


そこに感じるものはすがすがしさなのか、
痛みや寂しさなのか、
等々

そこをちょっと感じみるとまた色々なヒントが隠れている。


・・・・・・・・・・


わたしは以前、といってもかなり最近まで。


自分のために行動・発信する事は、どんな事であっても
その事で必ず不快な思いをする人が出てくるのがわかるので、それが嫌だった。

できるなら、わたし自身の行動で不快な反応をする人を見たくないわけで。
できるなら、わたし自身の行動で喜んでくれる人の反応を見たいわけで。
自分が人を攻撃する立場になりたくなかったわけで。


だからこそ、言葉を選び、表現を丁寧に努めた。

「あなたを攻撃しているわけではないのですよ」

そうやってトゲや角を取り、飾りをつけ、

自分にも相手にも、防御をしながら文章を書くようになっていった。


しかしそれでも、受け取り方は結局人それぞれ。

自分が期待した反応の場合でない事も多々あるわけで。


そうやって、恐れて「防御」している状態で発信したものは、

返ってくる相手の反応に対して、時に「攻撃性」を感じ、
また、自ら発したものが「攻撃」と受け取られることがさらに嫌で、
それならどう表現しようかと、さらに防御にかかろうとしてしまっていた。

なのに、
誤解されたくない。ちゃんと伝えたい。
だから

言いたい事言えなかったり、後から補足したり。

それを散々やってみた。

ただ、
実際のその場では、場の空気や、相手の雰囲気・距離感などあるから、
イメージ通りの、伝えたい事をすべて伝えられない事がある。

正直な気持ちを素直に表現できない事がある。

だから、後からも「ああ言えばよかった」が出てくる。


しかしそれは、
相手との距離・空気を感じたからこそ、言えなかった・言わなかった事。
それは、その場でできる事の精一杯であるという事。


自分の想いを伝える事をしようとした。
しかし、相手が受け取れなさそうな空気を感じている時に、押し付けたくない・壊したくない。
自分がシュミレーションしていた事と相手の反応が違うから、その答えは用意していなかった。

だからそこ、今はその言葉を出さない事も、わたしの選択として認めた。

常に自分が伝えたい事を出す事だけが目的ではないから。

こうやって、表現の大切さや難しさを感じてきている。


・・・・

そして。

伝えるチャンスというのは、「またそのうちある」と思っても、二度と来ない事がある。


後から言葉として何度も伝える事が出来たとしても、
その場でなければ届かない・受け取ってもらえないタイミングというものもある。


だからこそ、どんな選択でも、

自分がその時にできる事はやりきった・伝えきったと思える選択をしていきたい。

という、学びの途中。
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プロフィール

元ICU・NICU看護師/現「名もなき活動家」東 舞香

Author:元ICU・NICU看護師/現「名もなき活動家」東 舞香
ひとつの道にとどまり極めるより、あれやこれやかじって伝える事が得意。
わたしの人生経験すべて学び・ネタ!やることなすこと「活動」と称す。
そんなわたしの思ひ出作りとしての人生が、
きっと誰か必要な方への情報提供になるであろうブログ。
☆Webサイト作りました。ブログもこちらで更新中!
「名もなき活動家」東 舞香の活動拠点
http://namonaki.net/

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