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「やりたい事が見つからない」「~できない」そう言い続ける人に。

「やりたい事がわからない」
「~~したいのに、できない」について。


「やりたい事が見つからない」「~~できない」

そう言い続ける人は、

いくら「動く方法」をお伝えしても、発言・行動が変わりません。


そうしたいには理由があります。


今、わたしの周りにも

「やりたい事がわからない」
「~~したいのに、できない」

そう言い続けている人が実にたくさんいるわけで。



質問に対する答えは、探せば、簡単に情報は見つかるし、

同じことを語り発信し続ける人がたくさんいて、その話も実は散々知っている。


わたし自身が語る内容も、集約すると結局他の人と同じ事を言っているにすぎない。



それなのに。

まだまだ頑なに

「~~できない」と言い続ける人達が、
身近にたくさんいる。


そう、それは質問でない場合、いくら方法を知っても動けない。


だからこそ、そういい続ける自分のほんとうのこころ・気持ちを大切に。





これについて、わたしも実体験を踏まえた事をあちこちに書いていますが、

今あらためて、そして何度も伝えていきます。


・・・・・・・


◆「頭で考えこむ人(理論的・思慮的な方)」


その頭の中だけでストーリーが作り上げられ、進行していってしまう。


「だって、こうしたら、こうなるし」


答えを予測(先読み・裏読み)し、

結局、行動を伴わずして、完結してしまう。


また、「ほんのちょっとやった」ところで、

「ほらね、やっぱりできない」という時点で止めていく。

だからさらに、「できない感」が増してゆくのである。



できる前に止めてしまうから「できない」と決めてしまうけれど、

実際は「できなかった」ではなく「まだ途中」なだけ。


「ほらね、やっぱりね」という想いが出てくるなら、それは「できない前提」となっているといえる。


エネルギー的な状況でいうと、頭に気がいって、足元グラグラ。
いわゆる「地に足がついていない」状況。


頭でしっかり考えられ、空気が読めるタイプは、
特に頭で考えて情報詰めすぎ、だから動けないパターンになりやすい。


「実践」があると、その都度「相手のリアルな反応」に対して
「じゃあ、次はどうする」と進んでいくことができるけれど、

「頭の中」だけだと、考えうるパターンがいくつもありすぎ、
そのシュミレーションだけで日も暮れてしまう。

また、そのシュミレーションが「もしも」に備えるパターンになると、
いつどんな事が起こるかもしれぬ、と、一つ浮かぶとさらに用心を重ねようとする。


また、こういう「頭でストーリ」を作るタイプは、

全体的になぜかハッピーでないストーリーに傾きやすい(゚Д゚;)

おそらく、ハッピーでないストーリーだからこそ、動かず止まるわけで。
ハッピーな事がイメージできるのであれば、自然と行動につながるタイプ、

もしくは現実を直視したくない場合は、「空想」で満足する方向へ。




情報屋さんほど、それが頭に詰め込み過ぎという自覚すらなく、

「自分にはまだまだ知識や情報が足りない」と焦る。



そう、足りないのは知識や情報でなく、「実践」。


でもね、実はうすうす気づいてる場合の方が多い。


アドバイスした時に「でもね、だって」がでるなら、まだ準備ができていない。

それだけ。

( 動きたい<こわい )


◆「自分のやりたい事とはなにか」

ここ最近、世間的にも話題となっているテーマ。



その前に大切な事。

自分が元気がない・疲弊している・ニュートラルではない状態で、
「やりたい事」を探しても、そりゃ出てこない。


「元気」とは「元の気」 =元々の・本来の・ニュートラルな状態である事、という事。

元気とは、つまり特別なことでなく、「本来」の状態であるということ。

それが削がれた状態が、疲弊・枯渇・休息/癒しが必要な状態。



そもそも生きている上で一番大切なの事。


生理的欲求を満たす事。

普通に食べて、ちゃんと寝て。

そして安心・安全な環境があって、うんぬん。

このあたりの話は、この記事もご参照ください。
http://ameblo.jp/jibunnwoikiru-taiwa/entry-12159145335.html


実際、各天災などで生きるが死ぬか、の人に、心のケアやヒーリングなんて、二の次。

満たすものを満たす。怪我したら治療が優先。復興には人手と資金。

自分個人が何をやりたい事うんぬんではなく、
まずはその場でやるべきことをやるだけ。

まずはそこから。

(被災から落ち着いて来たら、心のケアは特に大切になります)


その土台がないのに、

なにか「やりたい事をやらねば感」があるのは、

いわゆる地に足がついていない状況。



特別な状況環境でない、いわゆる日常で

「やりたい事がわからない」が出てくる時。

・まず一つ。

その土台のどこかが揺らいでいるから。
(マズローの欲求五段階 をぐぐってみて)

それなのに、その土台が揺らいでいる事に気付いていない。

「やりたい事がないわたしはダメなんだ」と、

その頂上だけをみて、
その頂上部分がぐらついていると勘違いしている。

そしてもっと上に上に、何かを積み上げようとして、さらにぐらつくのである。



言い換えると、

満たされていれば、自然とやりたい事って、勝手にやっているはず。


また、自分には趣味もやりたい事も全くない、と思っていたとしても、

実は気が付けば勝手にやっている事ってある。
それが、自分が思う華やかな・派手な事でなく、当たり前すぎるので、それが好きな事なんて気付かない事もある。



本来、好きな事なんて、「考えて 探すもの」ではない。


わたしは「自分探し」という言葉を使わなくなった。
(これは「たいわ」で学んだこと)



「自分」は探すものではない。すでにそこに「ある」ものだから。

いうなれば 自分を「思い出す」(忘れていたものを思い出す・気付く)



「やりたい事」すら、本来「ある」もの。それを「ない」と思っているから「探す」。

あったのに、「ないもの」という前提にしてきたから、「ない」と思っている。
その「ない」中から、探すから。

(妥協して・損得勘定で、比較的マシな道を探そうとする)


だから、疲れてしまう。


だから、その前にする事がありますよね。と言う話。



・もう一つ。
それだけ、生きる事に実は「余裕がある事」



わたし自身、ひたすら「自分のやりたい事」を模索するという期間は、
確かにしんどいものであった。

しかし、それだけひたすら「自分の事」を考える余裕のある、人生においてなんとも有意義な時間なのだと、つくづく実感。


ただ、今まさにしんどい最中の人は、それは感じない。

こんなに必死なのに!生きるためだから働かなくては!でもこのままでは・・・・!
そんな時に

「有意義な時間なのだから、感謝しなくちゃ」

なんて、納得させようとしなくていい。



「本当に今やらないといけない事」が現れている時、

「やりたいかどうか」うんぬんでなく、

考える暇もなく「やるしかない」と自然とやっているもの。



「やりたくない・何をやりたいのか」
「やるべきかどうか」


そう立ち止まって迷いだすものは、

結局はどれを、どう選んでもいいものばかり。

そして、自分が本来選びたくないもを選んでいるから、迷うのである。

本来選びたいものを素直に選んでいる時は、四の五のいわず、やっている。


言い換えると、

迷っている=自分にとっては違うものを選んでいるから・本来選びたいものが他にある


もう気づいている。


それだけの話。



◆「休む」「寝る」などの生理的欲求について


一口に休息、といっても、


・単純に睡眠時間が足りない

・睡眠・休む時間そのものは取っているのに 休まっていない感、

など、そこには質的・時間的に色んな理由があるけれど。


その根底には、やはり自分の中の思い込み・ルールなど。



寝る間も惜しんでやらなければならない事がある、

家でじっとしているのに、一日中仕事の事でそわそわしてしまう、

など、そういう生活パターンになる考え方・自分のルールがあるからこそ。

だから、本来は「しっかり休む」事で養われる心身が、

そうならないような状況を作り出す考え方・生き方の話になってくる。




◆「~~できない」ならどうするか?


答えはいたってシンプル。


「~~できない」なら、

「できるようになる為には、次 どうするか」


先に進むには、それだけ。



「できた事」
「できなかった事」

それすらも、単なる「(誰かの・自分の)評価」であり、

その「事象・出来事」と「評価」は別のもの。



〇〇という出来事があった。(出来事のみ)

〇〇という出来事があった。だからよかった/ダメだった。(出来事+評価)



そこに「いいか」「わるいか」の判断は、人それぞれの価値観による評価にすぎず、
本来は出来事そのものに「いい」も「わるい」もないという話。


※※

「野口法蔵さん」の「これでいいのだ」という本を読んだことがあります。

「~~~できなかった!」 +これでいいのだ

「こんなわたし、ダメ!」 +これでいいのだ

ぜ~んぶ、後に「それでいいのだ」で締めちゃうと、全部それでよくなる(笑)

いくら長々とダメを繋げてみても。

こんなわたしダメ!それでいいのだ~。といっても、やっぱりそれはうそ!だめなの!イヤなの!悲しいの!そんな自分嫌いなの!
+それでもいいのだ~。

ほらね、結局はよくなっちゃうわけで(笑)



つまり、普段「だからダメなのだ」をつけている人は、
一番語尾に
「これでいいのだ」
をつけてみては?という話。



◆「自分は~~できない」と言い続ける人



繰り返すが、

「~~できない」なら、「できるようにするためには、何をするか」

それだけの話。

(自分がすべてやる、という事だけでなく、人に頼む事もアリの話)



それだけの事なのに、


それを何度も何度も、繰り返し使うのはなぜなのか?


なぜ、「~できなかった」事だけを、そんなにも大事にするのか?


だって、大事だから そんなに言い続けるのでしょ?




「でも、だって・・・」の気持ちが出る時は、その飲み込んだ言葉の中にヒント・答えがある。




「~~できない」と言い続けていると、

「~~したらいいよ」そう周りはアドバイスをくれる。

どうしたいかを知りたいのだろうから、と実践してきた人は、その方法を教えてくれる。



それでも動かない・動けない時。

欲しいのは、その方法論ではないのかもしれない。
その人からの話ではないのかもしれない。

その自分の気持ちを、とことん感じてみるのもひとつ。
(自分との「たいわ」)




「~~できない」という自分に、


「~~できたら」どうなる?

「~~できなかったら」どうなる?

「~~できる方法」を、探しているのか?

 方法を知ったら、動く?

 何が足止めいている?

「できなくてもいいよ」と言って欲しい?

「できてるよ」って言ってほしい?

「そうだね~わかる~」と共感してほしい?

「誰に」そう言って欲しい?

「~~できない」と言い続けてる気持ちって、どんな気持ち?

過去にいつ、今と同じような気持ちになったか?

 
 などなど・・・・・

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆


わたし自身、散々「できない!できるようになりたい!」を言い続け、


それなのに、

「やりたいと言いながら、できるまでやらない」で、


色んな所に行っては、
色んな人に同じ質問を散々聞いて、
たくさんの方法論だけ仕入れて、

「やっぱりできない!~~したい!」

それを繰り替えていていた時期があります。


「~~できるようになりたい」と頑張っていた「はず」なのに。



そんな時期に、


「~~すればいいよ」としっかりアドバイスをくれる人、

「できないという前に、やる事やってから文句言え」とお尻を叩いてくれる人、

「大丈夫だよ。」と認めてくれる人、

 などなど


色んな方との出逢いで、支えられてきました。


だからこそ、自分も相手も・どの行動も、どこに正解・不正解もない事がわかってきました。



そして、自分で「自分の事」をわかろうとすると、


自分がなぜそう思うのか・そう感じるのか、
じゃあ、本当はどうしたいのか、

そこへつなげていけます。


自分が「自分の事」を差し置くと、

「自分の事」なのに、「人から答えが欲しく」なり、
でも、人から言われた事が 自分の本当の気持ちと違うと(無自覚でも)、
自分の事をちゃんとわかってくれる人探しになっていきます。



だからこそ。


自分をわかる・自分を大切にする。


そうしたら、もう「探しもの」を終わりにして、次のやる事へ。


・・・・・・・・・・・



わたしができることは、

「やりたいのにできない」

そう言い続ける人に、

「それは つまり。 こういう事だ」と経験を伝え続けていくだけ。


過去記事参照:「言い訳」は、自分の本音に気付くチャンス!散らかった部屋から3つのメッセージ。


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プロフィール

元ICU・NICU看護師/現「名もなき活動家」東 舞香

Author:元ICU・NICU看護師/現「名もなき活動家」東 舞香
ひとつの道にとどまり極めるより、あれやこれやかじって伝える事が得意。
わたしの人生経験すべて学び・ネタ!やることなすこと「活動」と称す。
そんなわたしの思ひ出作りとしての人生が、
きっと誰か必要な方への情報提供になるであろうブログ。
☆Webサイト作りました。ブログもこちらで更新中!
「名もなき活動家」東 舞香の活動拠点
http://namonaki.net/

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