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人を好きになる条件・人を嫌いになる条件とは?一年前のテーマを今振り返る。

2015.7月頃、たいわ士育成講座の過程で書いていた文章。

それに、今現在の解釈を加えて、語ります。

キーワードは

セルフイメージ
人を好きになる条件
人を嫌いになる条件
好み

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆


◆ 人を嫌いになる条件


自分にとって素敵・大切だと思う方に、


「私って実はこんなダメな人間なのである。」
「これを知るとあなたはがっかりするはず。」
「今、こころが病んでいる。」
「わたしは自分に自信が持てない。」
  

そうやって気持ちを打ち明けてくれる事がある。


こう話してくれる人の 心配するところは。

「これを知ったら嫌われる・離れていくんじゃないかな」



自分にとって大切な人に程、見せたくない・知られたくない部分。
しかし、自分の中にとどめているだけではつらい とわかってきている。

だから、人に話して、大丈夫って言ってもらいたい。安心したい。

しかし、話しても安全な場・人というところを探す、というのはなかなか難しいもの。




話を聴く側のわたしの感じること。


その大切な想いを、ただ、正直に出してもらった事が嬉しいわけで。
その中すべてが正直でないかもしれない。たくさんの防御をしながらでも、一歩来てくれたわけで。
その、次に進む一歩のために、
わたしを選んで話してくれた。
それだけで「わたしが受け入れてもらってる」のだな」と感じるのである。


そう、話してくれた相手側としては、その話す相手・場を受け入れていないとできない事。

人に話せる時点で、その人は、人を受け入れる事ができる人なのである。




話してくれる相手が、いくら、

「こんなひどい事をしてきた」
「あなたの思うような人じゃないんだ」
「これを聴いたら、あなたはわたしを嫌いになるかもしれない」

・・・という話でも。


どんな話の内容であっても、
その人を大切に想う気持ちが減る・なくなるなんてないなぁと。

たとえ太ろうが痩せようが、
テンション落ち込みモードであろうが、
悪い事をしてきたろうが、見た目がどうとか、
男だろうが女だろうがそれ以外であろうが、
どんなに自分を偽ってきただろうが、
一緒に過ごした時間が長かろうが短かろうが、・・・



どういう話を聴いたら、じゃぁその人を嫌いになるか?
そう考えてみても、ちっとも思い浮かばない。

その人が「大切でなくなる・嫌いになる条件」

さて、あるのかな?




で。

最近、その「自信がなかった人」が、ちょっとずつ自分を出せて、行動し始めて、

自信がついてきました!
自分が好きになってきました!
どんどん変わってきました!

そう、笑顔で言えるようになった人たちもいる。



それでもわたしは「以前と何も変わらない」と感じる。


変わらない、というのは、魅力がアップしていない、という意味ではない。

だって、もともと素敵だと思っているから。

それにやっと自分で気づいたんだね、よかったね、と思うだけ。

だからこそ、より生きやすく、明るい笑顔が見れるようになった事を、嬉しく想う。




だってね、にゃんこがね。(いきなり にゃんこで例えてみるYO)


猫:「あのね、ご主人・・・きれいな縞模様でなくてごめんなさい・・・」
  「こんなぶち模様、人に見られたくないの・・・・」

 そうやって、三毛猫がしょんぼりしていたら。


ご主人:「いやいやいや!お前さんはそのままでいいんだよぉぉぉ~!」
猫:「・・・こんなわたしのどこが?」
ご主人:「どこがってきかれても・・・その愛くるしいおめめ、そのもふもふもおてて、その柄・・・(以下続く)」


自身の魅力に気付くということは。


猫:「ご主人、わたしのこの柄、珍しいんですって!」
 「みんなと同じ柄でなくて、いいのですね~!」
 「わたしを見るとみんな笑顔になってる!どうぞもふもふしてぇ♡」


ご主人:「だろ?お前さんは、かわいいんだもの~♡」
(以下、もふもふ)


ご主人にとって、何も変わらない。すでにかわいいんだから。

(より魅力を惜しみなく発揮できるにゃんこを愛で、もちろんご主人もさらに嬉しい)



・・・・・・


◆ 相談?話したいだけ?




「わたしは魅力がない」

そういわれたら、どこがどんなに魅力があって、と伝えたくなる。


「かわいくないし」

そう言われたら、ああしたら、こうしたらもっと可愛くなれるよ、って教えてあげたくなるもの。


情報が欲しい時は、「ありがたいアドバイス」だけれども、
自分が求めていない時は、ただの「お節介」となってしまう。


なのにややこしいのは、ここに
「かわいくないから」の言葉の裏に「かわいいと言ってほしい」が潜んでいたりするわけで。


だからこそ、ここにお互いの確認・配慮が必要なわけで。


人の話を、遮らず、そのまま受け止めて話しを聴くって、

簡単なようで簡単ではない。


話をする方も、聴く方も、気力を使うもの。


聴く側だって、自分の意見も言いたくもなる。


相手が「問題」だと思っているなら、一緒に解決してあげたいから。

(相手の問題を解決してあげたい→「それは結局自分の問題」が絡んではくることもある)


ましてや、男と女の思考回路がどう、とかよく聞く話。





「せっかくこんな一生懸命アドバイスしてやったのに!」といらいらした事のある人と、

「ただ話を聴いてほしいだけなのに!」とアドバイスされた事にいらいらした事のある人は、


そこをちょっと立ち止まるといいかもしれない。



・・・・・


◆ 大切な人=すべてがOK! でもない。



それならばなんでもかんでも、許せる・受け止められるのか?

許さないといけない・受け止めなくてはいけないのか?


そうではない。


たとえば「試し行動」。


すればするほど、自分が期待したものを得る事にはならない。

(試し行動:わたしの事が大切なら、追っかけてくれるんでしょ?これくらい許してくれるんでしょ?怒ってくれるんでしょ?みたいに、人を試すような事をしかけ、それを愛情を図る目安としての行動。)


それをされた側の人としては、
今目の前の人に対して「どの範囲まで許せるか」は、
個人の間柄や、その人の器にもよるかもしれない。


これはある意味、条件ともいえる。
(ここまでならOK、その線超えるならNO など)




その試し行動を される側 の人としても。
どれだけ自分にとって「大切な人」であるから、
それが「自分が愛されている証拠」だと思えば、甘んじて受けるだろう。


しかしこれも「程度」による部分がある。


目の前の人の行為で、自分の生活が・メンタルが・いのちが、追い込まれていくならば。


どこまで許しますか?という話になる。




はい、猫でのたとえ。



猫:「わたしが三毛猫でもいいっていうなら、いくらひっかいても、ソファーにおしっこしても大丈夫なんでしょ!」
猫:「・・・!あんなにいつでも愛してるっていったじゃない!何しても怒らないって、あの時言ったじゃない!それでも好きだよって、抱きしめて下さらないの!!?」

ご主人:「大切に決まってるじゃないか!もふもふ」
    「・・・これも愛情表現なんだろう。好きにさせておくか(放置)」
    「引っかかれるのはいいけれど、ソファーにおしっこだけは勘弁してほしい」
    「こんな困った子はいらない。捨ててやる」
     などなど


ここでご主人が抱きしめて終わるパターンで、一回で終わればいいが、

自分が思った反応があった場合、
「それなら、これは?血が出るまで噛みついてもいい?」
と試す度合いが増えていくもの。


自分が思った反応が来なければ
「やっぱり、わたし愛されていないのね!」


そうやって、やり続けるしかなくなる。


・・・


「大切にされたい」
「大切にされているか 確認したい。」

そんな時は、人に向けるよりも先に大事な事。

「自分が 自分を」大切にしていますか?

「自分が 相手を」大切にしていますか?



もし、そのような試し行動をした事がある・された事がある、という場合。

結局、その根底は「大切に想っている・大切にしてほしい」


それを、確認するめには、試すのではなく、わかちあう、という事。



まぁ、嫌よ嫌よも好きのうち、というのに燃えるものでもあるので、止めはしませんがね。
(*‘∀‘)わたしもそいういうの、嫌いじゃないのYO!



・・・・・・



◆わたしは 誰かの「こころのゴミ箱・はけ口・サンドバック」を辞めた話。


「あの人の話、わたしが聴いてあげないといけない・・・」

わたしは長年やってきて、気付いたのだ。


マシンガントークで、不平不満を浴びせ続けられ、わたしは疲弊したことがある。



「あなたにしか話せないの」
「夜も眠れない・ご飯も食べれない。あなたと話したら楽になるの」

そう言われたら、無下に逃げるわけにもいかない。


しかし、散々捕まって疲弊してきた頃、
よくよく見渡すと、どうやらわたしでなくてもよかったと気付いてしまったのだ。

うんうん話聴くだけでは、解決もならないし、
なにより、その人のためになっていない・むしろ助長していただけだった、と。


だから、自分で「ゴミ箱・サンドバック」になるのは、やめたのだ。




今は。

自分にとって大切と思う人から大切なお話を聴く時は、、
愚痴でも泣き言でも、それはすべてゴミはなでく、そのひとの大切な想いのひとつ であると気付いた。


だから、その吐き出してもらう気持ちすら、大切なものと伝えられるようになったり、
わたし自身が発する言葉も、
まだ拙いなりに、伝えたい事はしっかり伝える事にした。



これも結局、話す側、聞く側の在り方ひとつ。


・・・・・


◆ その人を好きになる条件


どんなに

「わたしって、こんなすごいの。」
「わたしを分かってほしい・話を聞いて欲しい」
「お金は出してあげる、協力してあげる」


そいういわれても、ウンともスンともココロが響かない人も実際にいるわけで。



ただ、普通に話をする・一緒にいるだけなら、なんともないけれど。

わたしに「好意を寄せてくれる相手」を、わたしが好きになれない、と感じた時。
(男女問わず)

むしろ、一緒にいるだけで、話を聞いていると自分の気力を奪われていく感じ。
(このあたりは、「依存」「エネルギーバンパイア」関連の話も絡むかも。)


その人がどんなにすごい事をした人であっても、
周りに影響力がある人・人気がある人、
ご飯を驕ってくれる・気遣ってくれる・~~してくれる・・・など


その人が、努力してくれるほどに、わたしは疲弊してしまう。


どんな「条件」があったとしても、何をどうすれば好きになるのか?と言われれば、答えがない。
それがわかっていたら、こっちだって好きになりたいから、努力するだろう。


だから、そんな人を「好きになれない」場合、これまたつらいものなのだ。


(それでも、好きになりたい・好きになってもらいたい、というのは、ひとつの向き合いポイント。そこから進むなら、どうする?という話にもなる。)




人を「嫌い・苦手」と思う気持ちの中に、

自分が許せないと思っている部分を相手が持っていて、それを見せられるのがイヤ・つらい、というパターンもある、(同族嫌悪的な)
そういう場合は、結局は、自分と向きあう、という事が必要になってくる。


それとは別で、好き・嫌いとはちょっと別の、
「あえて特別な理由もない・生理的に無理」というパターンもある。
(理由がないのか、気付かないだけかは不明。科学的にもあれこれ理由はあるようで。)


どのみち、それを何とかしよう自分を納得させようとすると、
そのテクニックは結局 自分にとって、すりかえる・ごまかす方法になっていく。




そこでひとつ学んだ事。
自分にとって、どうしても苦手・好きになれない人が近くにいたとしたら。


「どうぞ、私のいないところで、(勝手に)幸せになってて下さい。」


そう願ってみてはいかがだろうか。



「わたしがしんどいのはあの人がいるせい。」
「あの人なんていなくなってしまえばいいのに。」

そう思う時点で、その苦手な人ににフォーカスしてしんどくなるのは、自分。


また、もし「いなくなってしまえ」そう願っていた時、
その人が不幸な事でいなくなってしまったら?
心からせいせいするかというと、そうではないはず。
やっぱりいい気はしないはず。


だからこそ、そんな時は


「私のいないところで勝手に幸せになってて下さい。」


そう、自分が幸せに、安楽に過ごすために、誰かの不幸を願わなくていい。

自分も、その苦手な相手も、みんな幸せになればいいんだ~。
(*‘∀‘)



そういえば、そう願うほど苦手が人が、今はすでに思い浮かばなくなってしまっている。




猫嫌い・苦手な人って、何しても、苦手だし、嫌い。
その理由を問うと、
「あの顔が怖い、爪がね・・・・」

そう、理由はいくつも出でくるが、結局その理由が、理由ではない。

たとえ、大人しい猫ちゃんならまだ大丈夫、という場合も、
それでも「好きではない」わけで。

だから、これまた条件だけではないという話。

そして、いくら嫌いだからといっても、
目の前にいなければ困らないし、
目の前にいなくて自分と関わらなくなれば、その幸せを邪魔する気にもならなくのではないだろうか。

(嫌いと思い込んでいただけのパターンは、可愛さに気付いたらドはまりする事もある(笑))

・・・


つまり。


~~すれば好きになってもらえる、
~~しなければ好きになってもらえる、


という、相 対する人に向かっての行動・生き方は、自分が疲弊する。


~~すれば好きになってもらえる、事も、もちろんある。


が、すべて100%コントロールできるものではない。



自分が、好かれるために頑張ってきたのにどうして?納得いかなくても。

自分が好きでない人「あなたのために、~~したの」って言われたら、どうですかね?

逆に考えると、とても簡単。
(この辺は、あの有名な心屋仁之助さんがよくブログで書いているはず)


つまりは、そういうこと。





「じゃぁ、相手のために何もするな?っていう事?」

そう言いたくなる人もいるかもしれない。


そこは一見似ているが、方向性が違う。


たとえば、人にプレゼントが好きな人。

相手が「喜ぶ顔を見れる自分が嬉しい」から、
相手を想って「プレゼントを選んでいる自分が楽しい」からやる。

それはすでに自分のため。そして、そこに気付く事。


そこに自覚がないと、
「これだけやっているのに、どうして感謝されないの?」ってなってしまう。(押しつけ)


だから、「相手の為」と入れるなら。

たとえば相手が重荷に感じないような、相手が喜んでくれるような、
そんな「配慮」が必要になってくる。


・・・・・


◆ 好み

で。ここにも書くが、絡んでくるのは「好み。」


「猫」はみんなかわいい。


だからといって、わたしがすべての猫を平等に愛せるかといったら、そうではない。


そこにあるのは「好み」


わたしは好みをあえて言うなら、美形なお猫さま。


サバトラ・キジ猫とか縞っぽいやつ。
あぁ、真っ白も、真っ黒もいいね!
柄はそこまでこだわりないけれど、それでもかわいく見えるやつと、面白く見えちゃう柄もあるしね。

成長度合いでいうと、完全赤ちゃん・仔猫よりは、
2歳は過ぎて~10歳くらいの、元気で毛つやもあり、活発さと大人しさを兼ね備えた系。

だからお膝に好みでない子が乗っていたら、その子もかわいいけど、
お膝に乗っていない他のにゃんこ様にもちょっかいをかけたいとうずうずしちゃう。


あぁ、これが好みというやつだよ、あなただけを愛せないわたしを許しておくれ・・・。


・・・


◆ 人に好かれるための努力について


つまりは「万人・すべて」を愛する・愛される は不可能。と思ってていい。

もちろん、万人、万事、すべて、尊い。
そこは揺るがないもの。

その前提があってこそ、
自分がすべてを「愛さなければならないもの」と頑張らなくていいもの、という事。

(一般人の範疇を超えたお仕事の人は、どうなのでしょうね。また聴いてみたいところ)


人から好かれるための努力を先にするから、疲弊する。


だからこそ、まずは 自分に素直に正直である事。


たとえ、特定の「~~さんに愛されたい」と行動をするにも、

まずは自分。

そこから、自分と、その相手と、向き合うことになるわけで。


・・・・


~~から愛される努力。


「男に愛される女子になるためには!」


こういうメゾットに手をだして、うまくいく人と、そうでない人にわかれると思うけれど。


こういう話の核となるところは、実はシンプル。


自分の魅力、女としての魅力・能力を開花させるためには、
結局は 自分が気付いて、そして活かせるかどうか。

たとえ、人がいくら「東さんって、とても素敵」と伝えてくれたとしても。

わたしが「「いや、認めぬ!」とやっていた間は、何も受け取れない。



たとえばヨガ・ダンス・メイク・オシャレ・料理などなど通じて、

「あ、わたし。イケてるやん」
「自分が美しいと旦那もご機嫌!わたしが笑顔だと、子どもも笑顔!」
「こんなにキラキラして、生きていいんだ」


目に見える形で・体感する事によって、さらに自分の魅力が発揮できてくる。
それが、「生き方」として選んでいいのだ、と気付けるかどうか。


そういう点では、女子の心強い味方・武器はたくさんあるのである。


なんにせよ、「自分の魅力に気付いちゃった人」は、早いのである!


そのシンプルかつ奥深い所をキャッチできた人と、
その「小手先のスキルだけマネした」だけの場合、


周りを見ていても、
自分の体感としても、
もう違うのはわかりますよね?


それでも、まずはマネからでも、やってみる事は一歩。
そこから、気付く・受け取れるかどうか。



※ わたしは、もうそろそろ・・・もうそろそろ・・・!?
女性の魅力をもっと惜しみなく発揮する予定!(笑)

いつ?( ´・ω・)(・ω・` )ネ-

・・・・・


◆ まとめ


好みって。とても重要。

しかし、「すべて」ではない。

だって、「好みと全然違う人を選んで結婚しました」なんて、ざらにあるわけで。



人を好きになる条件とは?人を嫌いになる条件とは?


そんな事をまざまざと考えていたのは、もう去年の事。


今、その答えが出たか?というと。


「なんとなくわかってきたし、もういいか。」


そこをコントロールすらしなくてもいいので、そこにこだわらなくてもいい事にした。


また経験とともに、解釈が変わったら、書いていきます。

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プロフィール

元ICU・NICU看護師/現「名もなき活動家」東 舞香

Author:元ICU・NICU看護師/現「名もなき活動家」東 舞香
ひとつの道にとどまり極めるより、あれやこれやかじって伝える事が得意。
わたしの人生経験すべて学び・ネタ!やることなすこと「活動」と称す。
そんなわたしの思ひ出作りとしての人生が、
きっと誰か必要な方への情報提供になるであろうブログ。
☆Webサイト作りました。ブログもこちらで更新中!
「名もなき活動家」東 舞香の活動拠点
http://namonaki.net/

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