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「育てにくい子」だった私の成長日記。③

「育てにくい子」だった私の成長日記。①
「育てにくい子」だった私の成長日記。②

続きです。(*'ω'*)

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こどもはわかってるから、ちゃんと伝えて大丈夫。」

「自分で判断できるから、信頼していい。」

「子どもにどうしてあげたらいいか悩むなら、本人にどうしたいのか聞いてみては?」



「かみさまとのやくそく」の内容にも通ずる事ですが、

最近、身近な友人にお伝えした言葉です。


子供が明らかにショックを受ける出来事に対して、

「これは伝えない方がいいのではないだろうか、ショックを受けるのではないだろうか」

そうやって、大切なお子さまが傷つくことがこわいので、全力で肩代わりしてあげようとしている姿を見ました。

でも、友人は、
子供にとってどうする事が一番いいのか、わからないと悩みます。

「まだこどもだからわからない・判断できないだろう」

「傷つかないように、よりいい方法を親が選んであげなければいけない」


もちろん、子供のうちは経験・知識・情報の持ち合わせがない分、
経験豊富な大人のような判断とは違う方法を選ぶかもしれません。
それで痛い目見るかもしれません。ショックも受けるかもしれません。


できるだけショックを和らげてあげたいという、当然の親心。



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世間一般でよく使われる言葉「今はまだ早い

いつになったらいいのでしょう?


どうして、「大きくなってから」ならいいのでしょうか?


本人が色々見て、感じて、考えて、選んでいくチャンスは、どうやったら許可ができるのでしょう?


それができるためには、何ができないとだめなのでしょうか?


本当に、何も経験することなく時が経っていくとどうなるでしょうか?


悲しい想い・辛い想いを経験したら、その子がどうなることが心配でしょうか?



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子供の頃の私の口癖

「なんで?」

「まいか、できるもん。(できるからやってみたい!)」

わくわくする事・不思議・興味的な事から、矛盾・疑念など、色んな意味の
「なんで?どうして?」
世の中、不思議・知らない事に溢れています。


だから知りたい。見てみたい。


それが怖いことなのか楽しいことなのかやってみないとわからない。


できるのかできないのか、やってみないと納得しない。


やってみたら、知ったら、それで満足することもあれば、もっとやりたくなる事もある。


やらせてもらえなかったからと諦める事もあれば、だからこそ意地でもやってみる事もある。


しかし、いつしか「できるもん」は、「どうせできない」になっていましたね~。

それすら自覚したのは最近で。
そして気づいたので、今はその「やるといったからやる」の実践中でございます。


やってみて「やっぱりいう事聞いてやらんかったらよかった」という体験すらも、私にとっては素敵な体験になっているなぁ~、と書こうと思ったのですが、
本当の意味で「やらんかったらよかった事」、って、ないかも。( ̄□ ̄ )!!

(もっとうまくできたらなぁ、次はこうする、とかはありますけどね)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


今までやらせてもらえなかったこと・やらなくてよかった事。
それなのに、社会に出たとたん、
その年にもなって、それもわからないのか(できないのか)
とくに今の若者は(ゆとり教育世代)、言われていると思います。

また、「昔の人」も、「昔はそんな時代じゃなかったからできなかった
と話す人も多いと思います。

だって、やらせてもらえなかったから」と言い続けている人。

結論を言いますと、その時できなかったこと、今でもやってみたいと思うものなら、
今からでも、いつでもやってみたらいいだけなのです


「あの時やりたかった・やらせてもらえなかったけど、
今は別にそんなやりたくない・そこまで本気でない事」まで、
その「させてもらえなかった気持ちだけを持ち続けている」場合があります。

つまりは「もう年だから」「~~だから」とやらないのは結局、
過去にいくらやりたかったかもしれないけれど、「今は」そこまでやりたくないだけ。
( ̄∀ ̄)

※※※
私が小さい頃は絵を描いたり、マッサージが好きでそんな職業かと思いきや、色々あって看護師に。
で、看護師でしっくりこなくなった時、進路変更を考えた時、
その他の習い事とかやってみたり、
「東洋医学に興味がある!今からでも鍼灸学校を探す!」と動いてみたけれど、
やってみて「あ、そこまで本気じゃない」って気づいたことがたくさんあります。
そう思うと、やっぱり自分がやりたい事しかやってないんです。
(*'ω'*)

だから、自分が~~できない。って、自分に言い聞かせるのはもうやめてみてもいいのではないでしょうか。

(*^ー^)
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親子でも夫婦でも、自分にとって大切な人にほど、


こうなってほしい」(という期待)がありますよね。


そうなってほしいから、そうなるような選択肢を、「私が、あなたのために」選んであげたくなります。


でもこの「(その人がそうなるための)期待・結果のために頑張る」というの根底には
「(その人を)信頼していない部分がある」からです。

心底信頼している時は、大丈夫かな?と疑ったり心配せず、お任せできます。



しかし、どんなに最善を尽くしたとしても、

その人が、自分が期待した結果にならなかった」場合、
「ではあの時どうすればよかった?」「これでよかったのだろうか」

考え続けないといけなくなります。
自分が選んだせいだと、と自身を責める材料にもなります。


その「結果」ために選択し、頑張りすぎるから、辛くなるのです。


自分自身の選択肢においてもたくさんの「これでよかったのだろうか」があるなら、
なおさら人の分まで背負わなくて大丈夫です。


もしここで、「(自分が)期待した通りの結果」になった時、
「ほらやっぱり私が正しい。(その子自身の選択より)私が選んであげた方が正解」。

しかし、あなたが(その人の)正解と思う事とは、
果たしてその本人の思う正解かどうか、確かめたことはありますか?
正解を人が選び続けてあげたら、その人はどうなりますか?

また、自分がその選択をすすめたのに、相手が選ばなかった時、どう感じるでしょうか。
選んでもらえなかった・自分を否定された」と悲しくなりませんか?



その出来事(結果)が、よかったかどうか、それは「受け取った人次第」ですし、
また、その「受け取り方」とは、なんとも流動的なものでもあります。

あの時辛かった、けれど今となってはよかったと思える事。
その時は何も思わなかったけど、今になって、それは違うと気付く事。

なんてこと、たくさんありますよね。

自分の生きてきた生き方次第で、経験してきた事の意味なんて、
いつでもいくらでも変わってしまいます。



だからこそ、「こうなってほしいから、こうする(という方法論)」だけを目標にすると、
本当に大切なものがわからなくなります。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


私の例として。

病院で看護師で働く事・安定する事が、娘の幸せ。

私の母は、今もそう思っていると言います。

私が「今の道は自分で選んだ事。楽しくやっている」と伝えると、むしろ辛そうな表情を見せます。

私の幸せを望んでくれているはずなのに?私が幸せだと言っているのに??
看護師経験があるからこその今であり、看護師で勤務した事は今でもいい経験になっていると、
何度も説明してます。

それなのに悲しむのはなぜか。


自分の選択を否定された事=自分自身を否定された


と感じるようです。


私は、数ある選択肢の中の、たったひとつの選択肢を選ばなかっただけなのです。

病院勤務の看護師を今は選ばなかった」だけ。


そして私は、看護師も母も否定していない。その方法ではない事を選んでいるだけなのです。


その「方法論」にこだわり、それ以外を許さないのは、

実は娘の幸せがどうの、が論点ではないのです。

そして、私がやりたいという事を、
「母親として素直に喜べないこと」も、
あわせて母自身の傷に触れるのだと思います。


私としても、わざわざ母の傷をえぐるようなことはしたくありません。
しかし、自分の行動が「誰の傷にも触れないよう」事は不可能です。
きっと、意図していなくても、誰かの人の傷にも触れています。
みんな、知らず知らず人から影響を受けて、与えているものです。

だからこそ私も、母に

「~~してあげないといけない」
「なるべく傷に触れないように遠慮する、たくさん言い訳する」

事をやめ、自分の想いに忠実にやっている最中です。




このような想い・悲しいと感じた事がある方は、

どうしてそんなに悲しくなるのか、

ご自身に話しかけてみてはいかがでしょうか。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



みんな、「自分」として、世の中を・今を生きています。


自分ではない、大切な相手ほど、心配になります。

その根底は、「その人が大切だから」なのです。

どれだけこじれていった事も、もともとはこの大切に想う気持ちから。
だからこそありえないくらい絡まる事もあります(;´∀`)


そんな大切な人だからこそ、信頼し、どーんとお任せしてみるのはいかがでしょうか。

そしてその大切な人を信頼した、自分を、信じる


だから、結局、「自分」なのです。

:*:・( ̄∀ ̄)・:*:(そう書いている私のテーマであります)



話はあちこち飛びましたが、

「育てにくい子だった私」の長い独り言でした~。

:*:・( ̄∀ ̄)・:*:



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プロフィール

元ICU・NICU看護師/現「名もなき活動家」東 舞香

Author:元ICU・NICU看護師/現「名もなき活動家」東 舞香
ひとつの道にとどまり極めるより、あれやこれやかじって伝える事が得意。
わたしの人生経験すべて学び・ネタ!やることなすこと「活動」と称す。
そんなわたしの思ひ出作りとしての人生が、
きっと誰か必要な方への情報提供になるであろうブログ。
☆Webサイト作りました。ブログもこちらで更新中!
「名もなき活動家」東 舞香の活動拠点
http://namonaki.net/

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