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何を選んで学べばいい?とお探し中の方へ

「スピリチュアル」という言葉。
すっごく好きな人と、すっごく抵抗のある人へ
語るシリーズ。


何を選んで学べばいい?とお探し中の方へ


わたしの経験を綴ります。

※これも長文です。

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わたしが学んだひとつ、「レイキ」。

いいと思っているから、学び続けてきました。
ですが、「レイキっていいから、学んだ方がいいよ」と、人に勧めた事はありません
(わたしの施術を受けて興味を持っていただいた方には、
「あの人の施術の方が面白いからおすすめ」とかはどんどんします)  


その理由は、「レイキ」であっても、他のヒーリングでも、~~療法でも、

それであっても・それでなくてもいい
と思っているからです。

さっそくですが結論①。つまりは
なんでもいい」。

(*'ω'*)だからこそ、何を選ぶか・どう選ぶか。


・・・・・・・・・・・・


わたしは今まで、ヒーリング・カウンセリングをちょっぴりずつかじってきました。
(施術だけを受けたり、それを学んだ人からの話を聴いたりも含め。)


その過程で、レイキも、それ以外の各種ヒーリング・カウンセリングも、
根底は同じところだと感じています。

自分が直接学んでいなくても、それを学んだ人とお話をすると、
「どれだけアプローチする方法や方向が違っても、行きつくところ・伝えたい根底は同じだね~。」
という話になります。

そして、わたしは、
その根底は同じなのだけれども、結局それを教える人によって「すべて違うもの」であるとも感じています。


何を学ぶかも大切ですが、誰から学ぶか、
つまり、結局は「その人のあり方・生き様から学ぶ」という話になっていくのです。
(いい面・そうでない面からも、学びとなります)


そして、その学びとの出逢いもそれぞれ。
自分が受けてみて心地よかったから・救われたから、
やっている人が素敵だったから、
信頼できる人からのご紹介、
ネットから探して情報がわかりやすいところ、
安かったから、近くにあったから、
なんとなく、
などなど・・・

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先日、とある治療家の先生がわたしに話してくれたこと。


「おれはスピリチュアルという言葉が嫌いだ」

「ご病気の方にレイキをしたい!」という人は、
病気を治したいからなのか」それとも
(自分が)レイキをしたいだけなのか

やりたい事探し中」の人が、一番ぐらぐらしているところ。

治療家は、「患者を治す」事が目的。だから、手段はなんでもいい
患者を治すためにはなんでもやる。そして、それだけの覚悟をもってやっている。

「スピリチュアル・ヒーリングをする人は、結局「それをしたいだけ」の人は、その「療法」(手段)にこだわって、偏っている人が多い。」

「アロマだ、レイキだ、ホメオパシーだ、いうなら「エネルギー学」から学べばいい。
それを療法ありきで考えてしまうから・・・・・」


※〇〇ダイエット、〇〇治療法、とか、そんなところに安易に飛びつくところから、そもそも違うという話。

・・・・・・・・

ここは、わたしも激しく同意なのです。
なぜなら、わたし自身がそうであると、気付かされた経験あるからです。
そして、わたしがアツク語っているところでもあるのです。

※「そうじゃない人もいるよ!」と反論もしています
ヽ(`Д´)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・


わたし自身、レイキややセラピー・こころの事など学んだ理由。

それは「見えちゃう人・感じちゃう人・わかっちゃう人」になりかったから。


エネルギー」を感じたいから
感じている人たちが口々に同じことを言う。
「何それ、わたしもわかりたい!」とレイキを学び始める。


その過程で、
自分が「生きづらかった」という事に気付き、
それが「わかってくれる人がいるんだ」と救われた想いがありました。
そういう、色んな「あっ」という気づきの機会が、
そういうセラピーの場であることが多かったのです。
だから、自分もできたら面白い!うれしい!すごいし、かっこいい!


「わからない・でもわかりたい・興味がある」から、頑張りました。
できる人のもとに行って、「どうやったらできるか」話を聴いて、練習もしてきました。
「オーラも見れるようになりたい」から、講座も参加して、
受けるのは一生に一回でいいというヒーリングも遠くまで行って受けてみたり、
なーんやかんや。

でも、実はこの「頑張り方」が、ちょっとズレているんですよね。
その方法であれこれ続けた結果、
「これだけやってもわたしは、わからないんだ、感じないんだ」と、
勝手にすりこみ続けることに。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


人の事がわかって、役に立ちたい!「すごい人」と言われたい・思われたい。

だって、人の事わかっちゃったら、面白いし、
あれこれ語らなくても、ぱっとわかれば、手っ取り早い。

「すんごい人になりたい!」というのは、にこにこ笑顔で話せるのに、

「なんですごい人と思われたいの?」
とつっこまれると、「うっ・・・」となる。
そこに隠れている、本当の気持ち。


「人を癒したい」「面白い・すごいことしたい」の裏の、
「自分が満たされていない想い」
「役に立ちたい」→(今のままでは、足りない・まだまだと思っている)
「自分の存在価値を証明するためのツール

ここをつつかれると、とても痛い。
自分では気づきたくないところなんです。

(必然としてそのツールを選ぶ人とはここが違います)

・・・・・・


で。やっぱり周りにも同じような人が集います。
(治療・ヒーリング・心理学系まとめて、「スピ系人あるある」と称しておきます)

たとえば、

勝手にリーディングしてくる人

もう、最初の時で実は、「この人に話を聴いてほしいのかどうか」って、自分で気付いています。
(自分に似たタイプに嫌悪を感じるようなやつ)

聞いてほしい人・話したくなる人であれば嬉しい・ラッキーなお申し出なのですが、
勝手にしてくる」と感じている時点で、それは「その人には見てほしくない」という自分の答え。

まあ、場の流れや付き合いもありますし、面白そうだから聞いてはみますが、案の定すぐにうんざりしてきます。
答えを求めていない人のリーディングって、誰の為?
結局「それをいいたいだけ」「すごいっていってほしいんだね」というのを感じてしまうのです。
そして、「自分が、その人からの答えを求めていない」と感じている事を、さめざめと感じます。

それでもリーディングを続ける人の心の中で
それだけ読めるなら、わたしが今、うんざり話を聴いている事も読めるはずなのにね~。どうして気づかないんだろうね~・・



タダでいいから、安くていいから、施術させてほしいと言ってくる人

もちろん、技術を磨くためには練習相手が必要です。
そして、その志がわかる方、信頼できる方なら、技術がどうではなく、練習といっても安心して体をゆだねる事ができます。

しかしこういう場合は、その人の根底は何か、を確かめます。
「自信のなさ」や、「自分を認めてもらうため」。
治療家としての在り方を問うと、やはりぐらついている場合。
(自分が治す・〇〇してもらって、嬉しいと言ってもらえる事を期待している)

わたしはそいういうには自分のからだをお任せしません。


・・・・・

あれれ?わたしが見えちゃう人・わかっちゃう人になりたいのはすごいって言われたかったからなのに。
それをやると、こうなるのか!!
(゜□゜)
と、人を通じて見せられるのです

・・・・・

※そもそも。
医療系・心理系・スピ系を選ぶ時点で
人にしてあげたい・わかってあげたい人気質」があるわけで。
なのでこの「あるある話」は、ある意味必然だと思います。

だからこそ、この知らず知らずに「自己犠牲」をやっている人は、いつか気付くところだと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・


そいういう経験からも。
「スピリチュアル」という言葉、それを多用する人、一回警戒します。


一番初めに学んだところで、
上ばかり見ているヒーラーほど怪しいものはない」と教えてもらいました。
幸い、わたしが学ぶ先・わたしが話を聴きたいと思う人は、
そういう事を教えてくれる方々なのです。


わたしが「この人、本物・信頼できる」と感じる人。
みなさん、なんかね、普通なんです。
(あくまで、わたしの基準)

つまりは
能力をひけらかさない、謙虚、特別感を出さない、仰々しくない、ナチュラル、シンプル、過剰なアイテムは必要ない、素敵だけれども教祖的ではない、裏と表を使い分けていない人、精進しつづける人、商業的でない 等・・・


それを自然と察してくるようになると、

・日常会話に頻繁に出るワードが
「波動が」「愛が」「天使が」「宇宙が」「〇〇神が」・・・
(確かにそうなんですけど。しかし会話がな~んかめんどくさいと感じてくる)
・すんごい数のパワーストーンをつけている人とか・・・
(そんな必要なんだ?余計肩こるんじゃないかと心配になる)
・見るからに個性的・ふわふわしている服装と話し方の人とか・・・
・話さずとも、顔つき・醸し出す雰囲気・・・・


さっきの「スピ系あるある」の踏まえると、
この時点ですでに、警戒心が働きます。
( ̄ー ̄)

そして、本当に見えちゃう・わかっちゃう人ほど、
わたしが「みたい!わかりたい!」といっても
そんなの、見えなくていいのよ」と言われてきました。


わたしがなりたいタイプの人は、
「そうなりたくて、なったわけでない人」が多いのです。

求めていないのに、見えちゃう・わかっちゃう、というのは、やはりそれなりのしんどさ・生きづらさを経験されていました。

しかし、ご自身の能力を自然と「人のお役に立てる」方向へと導びかれてきた人達を目の当たりにすると、やっぱりうらやましいと感じるのです。
「こんな人みたいにできたらかっこいいのにな~」。


・・・・・・・・・・


ちなみに、いつもお世話になっているとある方に、

東さんが初めから見える系の人だったら、たぶん(怪しくて)近づいていない。
と言われた事があります。

そっか。わたし、見えちゃう人でなくてよかったんだ。
その時、あらためて気付きました。

(その方は、わたしがレイキをはじめて、「わからない・感じない」と言い続けていた頃から、
「ちゃんと流せている」、とわかるまで、色々教えて頂いたり、練習相手になっていただいていたのです)


だって、結局は「見えちゃったら・わかっちゃったらすごい!」と調子に乗りたいだけです。
自分がされてうんざりしたこと、また人にやってしまうだけなのです。
( ̄□ ̄;)!!

だから、「自称 見えちゃう人になりたいわたし」は、やめました。


だって、
自分が話を聴いてもらいたい人とは?いつも相談する人とは?
どんな人・場所なら安心か。
それを思い浮かべると、
「見えちゃう人にならなくていい理由」が、あるのです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


情報や、人の見極めについて、わたしの課題。

どうやらわたしの「好き嫌い」「思い込み(過去の学習)」から、
人をジャッジしてしまうこと」につながってくことがあります


天使とか妖精とかふわふわ~ん、にはなるべく近づかなかったのですが、
その警戒していたところも、よくよく話を聴いてみると。
わたしが勝手にイメージしていた「怪しい人」ではないのです。


例えば、とあるカードリーディングをされる方。

数あるリーディングカード、ぶっちゃけ、なんでもいいと言います。
使い方も、どの種類のカードでも、結局同じになると。

そんな人達は、カードすらも使わなくてもわかっちゃうんです。
ただ、人に「伝えるために」、伝えやすい媒体として、カードを使っているだけ。

そして、その「カード」を使うのは、「本人が持っている答えに、本人が気付く為」のツールのひとつ。

それが、自分の大事にしている考えと同じところにあると知り、安心したのです。
同時に、それまでわたしは、単なる「わたしのイメージ・思い込み」で評価して人を見ていた事に気付かされました。


つまり
ある程度、自分が経験した過去のパターンからと、
知らないからこそ「イメージ」で、
「ああいう人はこんな人。」→「だから〇(×)」みたいな。


怪しそうに見えようが、素敵に見えようが、それは単にわたしの「好み」の話。


「わたしの好みでない=ダメという評価」

でもね、自分に置き換えたら、やっぱりいいとかダメとか、そんな評価はされたくないですもんね。
怪しくても、いいじゃない。(。・ε・。)

気が付いたので、必要ないものはやめていく、そんな最中です。

・・・・・・・・・・


結論②。
「スピリチュアル」「愛」など言葉を使う人は、怪しいのか・そうでないのか。
それは
発信する側の人の在り方と、
それを受け取る自分次第という話。


そして、怪しかろうが怪しくなかろうが、それすらも選べばいいという話。



またうっかり長くなったので、続きは次へ。
(;´∀`)


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プロフィール

元ICU・NICU看護師/現「名もなき活動家」東 舞香

Author:元ICU・NICU看護師/現「名もなき活動家」東 舞香
ひとつの道にとどまり極めるより、あれやこれやかじって伝える事が得意。
わたしの人生経験すべて学び・ネタ!やることなすこと「活動」と称す。
そんなわたしの思ひ出作りとしての人生が、
きっと誰か必要な方への情報提供になるであろうブログ。
☆Webサイト作りました。ブログもこちらで更新中!
「名もなき活動家」東 舞香の活動拠点
http://namonaki.net/

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